スタッフの日記

5月7日(日)晴れ
思い立ってベトナムのホーチミン市へ1週間のプチ留学に来ている。
午後4時半、無錫から汽車で上海に出て、そこからバスで浦東空港
へ。無錫駅・上海駅共に労働節休み最後の日曜日とあってか大混雑
だった。浦東空港9時半発の上海航空でベトナムへ。定員160人ほど
の飛行機に子供1人赤ん坊1人を含むたった19人の乗客でガラ空き。
機内食はいつもの東方航空よりも遥かに美味。4時間の飛行、現地
時間8日深夜12時半にホーチミン着。予想外に小さい空港で、深夜
のため人も少なく、店もすべて閉まってて閑散としてた。留学先の学校
のUさんが出迎えに来てくれてて、タクシーでホテルへ。空港と市街地
が近く、15分ほどでホテル着。途中まだ1時過ぎだというのに、街には
人影も無く、車も少なかった。時折ホーチミン名物?のバイクが走ってたがそれもほんの僅か。飲み屋さんも含め、
お店はすべて12時までしか営業できないらしく、夜は早いとのこと。市の中心部にあるという小さなホテルもシャッタ
ーが下りて、周りに人影もなし。シャッターを叩いて開けてもらい、中へ入った。それにしても、特に治安が悪いと言う
わけでもないらしいのに、ホテルまでがシャッターを下ろすとは…。Uさんがとってくれてたホテルは、小さいけれど
ADSLでネット接続もでき、朝食付で28$という安さ。ツインベットの部屋も風呂も清潔でNHKのBSも映って十分
に満足。荷解きして、風呂に入って寝る。
5月8日(月)晴れ
朝8時にUさんがホテルまで迎えに来てくれる。ロビーで暫く話した後、
歩いて近くの学校?へ。オフィス一部屋と隣に教室。ホーチミン人の
Mさんの個人レッスン。中国語で苦労している4声以上に難しい6声。
しかも漢字ではないのでかなり戸惑う。それでも個人レッスンのお蔭
か、何とか1週間やれば少しは話せそうな感じがした。昼になり、Uさん
とUさんの上司?であるYさんと一緒に寿司バーへ。無錫と違い食材が
豊富で、ネタの種類も多かった。味もまずまずで値段的には、無錫と
ほぼ同じ。食事を終え、一緒に又事務所に戻る。50歳過ぎのYさんは、
いろんな仕事をやっておられ、しかも今日までの人生も波乱万丈。北
新地のこともよく知っておられ、午後一杯すっかり話し込んでしまった。
夜、この春まで無錫大飯店にいて、現在こちらの5つ星のホテルで働いてるSさんも呼び出して、YさんUさんそれに
Sさんと一緒の4人で、Yさんお馴染みの地元ビアレストランへ。かなり大きな店で、大勢のウエイトレスと各ビール
会社のキャンペーンガール多数も入り混じった地元民だけの店。食事は美味しく安かった。その後、Yさんの案内で
同じく地元の飲み屋(小さなキャバレーといった感じ)へ。個室で、こちら4人に女の子が9人付き、何故かその店の
人の良さそうなマスターもずっといて、ビール(小瓶)48本を空けた。午前たった2時間だけの授業なので言葉は全く
通じなかったけど、結構楽しかった。途中で用のできたSさんが帰り、店が終わってからYさんUさんの3人と店の女の
子3人、それにマスターも一緒で近くの屋台へ。見かけは中国の屋台と同じだが、料理は本格的で美味しかった。
そこで又飲んで食べて、1時ごろホテル着。それにしても飲み代1人2500円程とこれも格安だった。Yさん曰く「地元
の店だから…」。シャワーを浴びて早々に寝る。
5月9日(火)晴れ

 昨日と同じく、朝の8時にUさんがホテルまで迎えに来てくれた。同じく
9時からベトナム語の個人レッスン。昨日全く復習する時間がなかった
ので、結構苦しかった。今日も2時間みっちり教えてもらったけど、内容
が進んでくる分、やはり苦しい。昼ごはんは、YさんUさんと3人で、今日
は2台のバイクで出かけた。事務所ビル1階のバイク置き場には所狭し
とバイクが並んでた。Uさんの後ろに乗って近くのレタントン通りへ。ここ
はすぐ傍に多数の駐在員が住むマンションがあり、日本人向け各種シ
ョップや飲食店が並んでた。60$の日替わりランチ。味は無錫の日本
料理屋さんとほぼ同じだったけど、値段は少し高め。もし胡蝶が出店す
るならやはりこの辺りか。でも街の中心部なので、かなり高そう。食後、
この通りにあるUさんの知り合いの店で相場を聞いてもらったけど、やはり高かった。それで、その他の地域も知るた
め、Uさんがついこの間までいた日本語学校を見に行く(そもそもネットで申し込んだのはこの学校だった)。6階建て
の小ぎれいな建物で、中心部から少し離れてるというだけで、家賃は驚くほど安かった。でも多少高くても、出店する
ならやはり先のレタント通り周辺か…。学校前にあった地元オープンカフェ?でお茶した。宝くじ売りや靴磨き、小物
雑貨屋など、次から次へと物売りが来る。かなりの時間3人でだべって、事務所に戻る。それにしても、すごいバイク
の数。メットを被らなくていいので快適だったけど、その数は半端でなかった。夜、今日はドイツ風ビアレストランへ行
った。途中、有名というお寺がちょうちん等で飾り付けられていて、ステージで女性歌手が歌ってた。まるでそこだけ
日本の盆踊りといった雰囲気だった。着いた店は、店内に釜のある、日本にでも普通にありそうなビアレストラン。Y
さんUさんの知り合いという、ベトナム在8年のベトナム食材を日本へ輸出してるというTさんも加わって4人で食事。
11時頃までいろいろと話し込んだ。こちらに来る前、授業以外の時間をどう過ごすのか少し心配だったけど、いい人
たちに出会えて本当にラッキー。そのままUさんのバイクでホテルまで送ってもらった。12時前だったせいか、3日目
にして初めてホテルのシャッターは下りてなかった。
5月10日(水)晴れ

 昨夜比較的早く寝たせいか、7時前に目覚める。シャワーを浴びて、
ベトナム語の復習。8時半、ホテルを出る。道を覚えたので、今日から
は一人で通学。9時から2時間Maiさんのレッスン。今朝少し復習した
だけなので、どんどん進んでいく授業が本当にキツイ。昼、例によって
YさんUさんと食事。今日は日本食&ベトナム食の店。ベトナム人と結
婚したという日本人がマスターの店だった。ホーチミンには、結構日本
人オーナーの店が多いようだ。それにしても暑い。今日は37度。でもカ
ラッとした暑さなので不快感はない。Yさんの事務所で、新聞で不動産
物件を探し、見に行く。中国と違い、こちらはすべて不動産屋を通すよう
で、不動産屋と一緒。3件ほど見たが、どれもイマイチだった。夜、今日
は鍋だった。中国の火鍋に似た鍋だったけど、火鍋よりも口にあった。食べながらYさんUさんとまた11時頃まで話し
込んだ。その後その近くのカラオケスナックみたいな所へ飲みに行く。帰りに、最近できたという日本人経営のラーメ
ン屋で餃子とラーメン。餃子はまずまずだったけど、麺は不味かった。それにしても、ここホーチミンは、中国よりは
全体的に味が合う感じ。帰りはUさんのバイクの後ろに乗って、今日までで一番遅く1時半を回ってホテル着。風呂に
入り即寝る。
5月11日(木)晴れ一時豪雨

 昨夜遅くまで飲んでたためギリギリまで寝込んでしまい、今日も復習
する時間もなくホテルを出る。全くの個人レッスンなので、気楽といえば
気楽だけど、先生のMさんには本当に申し訳ない。でも1週間のプチ
留学なので、授業だけはどんどん進み、本来なら今日で一通りの挨拶
程度は出来てるはず。A45枚にびっしり書き込んだ授業内容とそれを
そっくり録音してるので、中国に帰ってからゆっくり勉強し直すしかなさ
そう。YさんUさんの2人は、今日はゴルフということでいなかったので、
昼はMさんと2人で近くのタイレストランへ。店内もキレイで美味しかっ
たけど、何故かお客さんは少なかった。午後2時過ぎにUさんが出社
し、そのままUさんと2人でバイクに乗り物件を見に行く。事務所を出た
辺りから、それまで上天気の空模様がおかしくなり、途中で突然の豪雨になる。そろそろ雨季だというのに晴天続き
だったけど、ついに来た。初めて体験する雨季の豪雨は予想を遥かに越えてた。カミナリが凄くて、雨の降り方もハン
パではない。Uさんはバイクに備え付けの合羽を着、ぼくも屋台で1枚買う。中国人が自転車に乗るとき着てるのとほ
ぼ同じだった。物件近くで不動産屋と会い、3人で雨宿り。見る間に道路が冠水する激しい降りだったけど、20分程
で嘘みたいにサッと止んだ。それにしてもベトナムの不動産屋の怠慢ぶりは凄い。昨日の不動産屋もそうだったけど
先ず物件の場所が分かってない。肝心の保証金等も分かっておらず、知ってるのは面積と家賃だけ。しかも大家さん
と事前連絡もしておらず、鍵も預かってない。それで、探した挙句に見つけた物件は、2つとも表から見れただけだっ
た。雨に濡れただけ損みたいな話。仕方なく一旦ホテルへ戻って着替え、事務所に戻る。夕方、事務員さん2人が帰
った後、昨夜飲み過ぎ睡眠不足のままゴルフをしてバテ、家で休養してたYさんが出社。Uさんと一緒に食事に出る。
Yさんはバイクを運転する元気がないとのことで、バイク好きのぼくが運転させてもらった。120ccのスクーター型だ
けど、メットが不要なだけ気持ちがいい。それに交差点やローターリーでウンカの如く鉢合わせする場面は本当に面
白かった。今日の食事は、ベトナム料理。地元の有名店とかで、観光客等もいて超満員だった。初めて食べるベトナ
ム料理だったけど、全然OK。ともかくここの食べ物は何でも合う。2次会は8日に行った地元の飲み屋。連日の疲れ
が出てきたので、早めに切り上げて、11時過ぎにホテルへ帰館。
5月12日(金)晴れ一時豪雨

 昨夜早目に寝たので、今朝はちょっとベトナム語の勉強ができた。で
も全然頭に入ってこない。いつもの時間にホテルを出て学校(事務所)
へ。YさんUさんは来てなかった。昨日の不動産屋から電話があり、今な
ら2件とも中が見れるとのこと。本当は今日の午前中はベトナム人家庭
訪問というカリキュラムの最後だったけど、勉強してないことでもあり、
中止にしてもらってMさんと一緒にMさんのバイクで物件を見に出かけ
る。Mさんのバイクは、YさんUさんのより一回り大きく高価そうだった。
初めに見た物件はともかく、前が旅行会社だったという物件は、角地
で場所も良く、税金の関係で間口が狭くその分2,3階建てという物件
が多い中、平屋で間口もそこそこある魅力的な物件だった。物件の裏
に住んでるという大家さんは82歳のおじいさん。全く予期してなかったあまりにも急な展開だけど、思い切って契約す
る方向で心を固め、その辺の事情を話して明日もう一度電話すると伝える。永年ミツビシで働いてたという大家さんは
ニコニコと了承してくれた。事務所に戻るとYさんUさん共に来てた。Yさんが「今日の昼は私の原点で…」ということで
バイクに乗りベトナムの本当に安い地元食の店へ。ここでも又バイクを運転させてもらった。着いた所は中国にもよく
あるような地元食の店。でも味が違った。「こんなとこ、先ず日本人は来ません」とのことだったけど、魚・肉・野菜等、
すべて口に合う美味しさだった。しかもかなり食べて一人60円ほどの安さ。それにしても、ここまで地元のことをよく
知ってるYさんには驚きで、そうした人と偶然知り合え、ここまでフルアテンドしてくれる人柄には本当に頭がさがる。
食後、Mさんの義兄が店長という地元の大規模喫茶店へ。2階建てで数百人は入りそう。喫茶店が殆ど無い中国と
違い、ここは大小様々な店がある。お茶を飲んで事務所に戻って暫くすると、朝の不動産屋から電話。実はあの物件
にはもう借り手が付いてて、明日にも手付けが入るとのこと。オイオイ話が違うだろ、という感じ。こちらの足元を見て
るのか、不動産屋が絵を描いてるのか、大家のおじいさんがボケてるのか、ともかく不動産屋を通さず直接大家さん
の所へ行くことにした。YさんUさんMさん、それにお父さんがベトナム戦の英雄という事務員のHさんも同行してくれ
た。留守かも?と心配しつつ大家さんの家に着き、呼び鈴を押す。何度か押してると、大家さんの息子の嫁という人
が出て来た。中に入れてもらって、事情を話す。どうやら物件の持ち主は先のおじいさんではなく、息子さんみたい。
それで旦那さんである持ち主に奥さんが電話しつつ、再度交渉開始。明日の手付金云々の件は結局分からず終い
だったけど、ともかく明日の午後6時に1か月分の手付金を持参することで、契約できることになった。明日の土曜日
仕事は休みだけど、Mさんが6時に来て立ち会ってくれることになった。本当に何から何までありがとう!という感じ。
事務所に戻って退社時間を過ぎてた既婚のMさん・Hさんは帰り、YさんUさんと物件について話し合う。今回、まさか
ここまで話が進むとは思ってなかったので当然手持ち金が足らず、その分はYさんが立て替えてくれることになった。
本当に感謝感謝。この所幸い円高なので、とりあえず手持ちの円を両替することにし、街の両替屋に行った。念の為
何店か見たが、やはりYさんお勧めの店が一番レートが良かった。その後、連日の疲れを取る!ということで、サウナ
へ。マッサージ嬢多数という他の店と違い、ほぼ日本と同じ感じのサウナだった。そしてここも、日本人はまず来ない
ということだった。ゆっくりサウナに入ったあとは初日に行った地元レストラン。前回とは違うメニューで、これも満足。
帰ろうとした頃、昨日経験した突然の豪雨。しかも小1時間続いた。本来は10時閉店とのことだったけど、雨が止ん
だ10時半近くまでいた。さらに帰り道、お茶でもということで探したけどみんな閉店で、結局小さな屋台のビア喫茶?
みたいな所で暫く話し込んだ。Yさんとはここで別れ、明日の午前中に日本へ一時帰国するというUさんにホテルまで
送ってもらい、部屋で2,3打ち合わせる。1時過ぎUさんが帰って、寝る。
5月13日(土)晴れ

 今日は最終日。でも休みなので、9時過ぎまで寝た。起きていろいろと
仕事や準備。Uさんは帰国していないので、11時にYさんがホテルまで
迎えに来てくれた。チェックアウトして出る。朝食付だったけど、結局一
度も食べず終い。しかも殆どシャッターが下りてからの帰館だった。そ
のまま少し早いけど昼食へ。イタリア人オーナーのイタメシ屋。無錫と違
いここは欧米系の人たちも多い。まあまあのピザだった。6時まで予定
もなく、何をしようかということになり、散髪へ。これも又当然地元の店。
うなぎの寝床みたいな所の片側が鏡で、その前に椅子が8脚。散髪・手
足の爪切り/爪の手入れ・耳掃除(驚くほど多くの耳垢がでた)・マッサ
ージ・顔パックとたっぷり2時間のコースで1人400円ほど。本当に安く
て内容充実。終わってからYさんのお宅拝見。地元住宅街の中の一軒家。結構立派でしかも安かった。次回から暫く
はここで泊まってもらっていいという信じられない厚意にただただ感謝。6時に大家さん宅。Mさんは、高校の同級生
だったという、中々の男前の旦那さんとバイク相乗りで来てた。再度条件確認をして、Yさんに一部借りた手付金を支
払う。簡単な仮契約を交わし、Mさん夫婦が帰ったあと、大家さんに鍵を借りて中に入り、Yさんに手伝ってもらて物
件の各実寸を測る。当然かなりの暑さだったけど、Yさんは何も言わずに手伝ってくれた。終わって近くの焼肉・鍋・海
鮮等を中心としたベトナムレストランへ。オクラの茹でたのやヤギの乳房等の焼肉を食べた。どれも美味しく、メニュ
ーには牛のペニス鍋やサソリの揚げ物等もあり、店内はベトナム人でいっぱいだった。10時半過ぎ、レストランを出
て、Yさんと別れて空港へ。空港には来た時と違いそれなりに人がいたが、それにしても800万都市にしてはやはり
小さな空港。夜中1時半発の空港最終便。来た時は19人しかいなかった乗客がほぼ満員だった。結局どこにも観光
に行かず、あっという間の、でも信じられないくらい充実してた今回の「ベトナムプチ留学」はこうして終わった。
5月25日(木)曇り時々小雨
 物件の契約その他で、2度目のベトナム行き。無錫午後4時35分発
の汽車で上海へ。今回は軟座だった為、快適。上海から例によってバ
スで浦東へ行こうとしたら、いつもの所にバスがない。15分ほどして浦
東空港からのバスが来て乗客が降り、入れ替わりに乗ろうとしたら「こ
れはダメ!乗り場はあっち!」みたいなことを言われ、その場にいた何
人かの中国人と共に言われた方向へ移動する。そのうち彼らを見失
い、言われた発着場所も分からないまま時間も迫って来たので、仕方
なくタクシーを拾って浦東へ。149元だった。浦東からの乗客は2週間
前の前回と違い、今回はほぼ満席だった。午後9時半発の実質ちょう
ど4時間、時差が1時間で12時半ホーチミン着。機内では比較的後の
席で、照明もおちて乗客は寝静まってるのに、最後尾のカーテンを閉めた中で、中国人スチワーデス達がずっとべら
べらうるさく喋ってた。空港には、YさんUさんが迎えに来てくれてて、2人ともかなりのご酩酊。Yさんのバイクの後に
乗って、空港近くのYさん宅へ。しばらく3人で話した後、時間が時間なのでUさんは帰り、Yさん宅の空いた1部屋で
寝る。前はフランス人が住んでたという平屋の家は、天井が高くてキッチンもヨーロッパ風でなかなか快適。
5月26日(金)晴れ
 9時に料理人が面接に来るというので、8時に家を出る。近くの地元カ
フェでコーヒーを飲んだ後、Yさんのバイクの後に乗って事務所へ。空港
からより遠かった。バイクラッシュには慣れたけど、それでも本当にすご
い数だ。9時に来るといった料理人は結局連絡も無く来ず終い。中国で
慣れてるけど、本当にルーズ。11時に契約なんで、両替屋に来てもら
い、持参した円をドルに両替。11時前、YさんUさん、それに事務員の
ベトナム人MさんHさんの4人と一緒に大家さん宅へ。3階のタイル張り
の床に直接座り込んでの契約。机も何も無く、床に屈み込んでタイルの
上でサイン。ドルが偽札かどうかチェックするという大家さんに着いて行
った先が、さっき換えてもらった両替屋。前回使った所と同じ所だった。
当然問題も無く、契約は無事終了。あとYさんUさんMさんHさんの4人で、Mさんの知人の韓国料理店へ。料理人の
選考にそこの調理場を借りるということで、昼食を兼ねて行った。ただ、使わせてくれるという厨房は2階の喫茶コー
ナーの厨房で小さく、それならYさん宅の台所の方がマシということで、選考はYさん宅で行うことになった。事務所に
戻った後、Uさんとすぐ隣にあるデパートの2階のスーパーへ日用品等の買出し。3時にYさんの知り合いの内装屋さ
んが3人で来た。ベトナムでは、工事は個々の業者に個別に直接発注するらしく、工事請負&監督者というのは特に
いない様子。来週月曜の朝9時に現場で再度会うことになった。時間まで事務所で仕事し、YさんUさんと夕食へ。今
回で3度目の地元ビアレストラン。途中で前回別の地ビールの店で食事したTさんも加わる。11時過ぎ、Yさん宅へ。
明日、4時起きなので早く寝るつもりが、結局2人で飲んで話して、12時半頃就寝。
5月27日(土)晴れ
 朝4時に起きる。全くの寝不足。シャワーを浴び、4時半に迎えのタク
シーに乗り込む。15分ほどで待合せ場所。今日はYさんの知り合いの
某省傘下国営企業の若手役人慰安旅行にUさん共々同行させてもらう
ことになった。それにしてもホーチミンの朝は早い。少し早く待合せ場所
である会社の前に着くと、路上カフェがもうオープンしてた。聞くと夜中
の3時に開店するとか。街中も5時過ぎにはもう普通に活動。Yさんの
知り合いのKさん以下、全部で20人足らずの団体。子供連れの女の人
が3人いて、驚いたことに旅行会社の添乗員の母親も一緒だった。韓
国から輸入したハングル文字がまだ車体に残ってる中古の小型バスで
出発。ハノイに通じる国道1号線を北に向かう。中国では普通に発達し
ている高速道路がベトナムにはないらしく、幹線の1号線も基本的には2車線の普通道路だった。それにしてもベトナ
ム人は明るい。中国人ほど騒々しくはないけど、バスの中は絶えず笑い声に満ちていた。間違いなくエリートの若手
役人達だけど、本当に素朴で明るい青年達だった。4時間ほどバスに揺られてリゾート地フォンティエット着。寝不足
もあって、とりあえず疲れた。でも着いたホテルはしっかりリゾートしてて、欧米系のお客さんも多かった。コテージに
なってる各部屋に別れ、1時間ほど休憩。昼食はバスに乗って近くの海鮮料理屋へ。有名店らしく大混雑で、味も良
かった。食後はホテルへ戻り夜まで自由行動。せっかく海辺に来たからと、海水パンツに穿き替えて、ホテルに隣接
した浜辺へ。でもこれが海水浴できるような浜辺ではなく、浜が狭い上にどこから来たのが大きな石がごろごろして
て、しかも工事中だった。仕方なく部屋に戻り、とりあえず寝る。夕方、再度浜辺に行くと、潮が引いてて遠浅の海だっ
た。でも白砂の浜辺ではなく、潮干狩りに適した浜で海水浴には向いてなかった。夕食は又バスに乗り、近くの今度
は地元食堂みたいな所だった。たくさんの蟹や魚、すべて美味しかった。特にヌクナムが美味。ホテルに戻り、役人
のKさんたちの部屋で酒盛り。ある程度のところで引き上げたけど、結局朝5時頃まで続いたらしい。寝る前にプール
でひと泳ぎ。久しぶりの水泳だった。
5月28日(日)晴れ一時雨
 9時頃起床。ホテルのバイキングで食事して、休憩。1時過ぎ、遅いチ
ェックアウトでホテルを出る。ここで旅費の精算。一人100万ドン(約7
千円/半分がホテル代)。バスに乗り、近くの海鮮レストランで昼食。泊
まったホテルと少ししか離れてないのに、ここの前の砂浜はきれいな白
砂で、ウィンドサーフィンやパラセイリーング等もあった。2時半過ぎ出
発。道路かバスが良ければそれほど苦にならない時間だろうけど、双
方ともよくよくない4時間強はやはりキツイ。途中のトイレ休憩は、バナ
ナ園にくっついた沿線果物店。バナナ園の陰で用を足し、南国のフルー
ツを買った。帰りも途中まで元気だったベトナム人も最後はさすがにほ
ぼ全員眠りこけていた。南国らしく鮮やかな色彩の夕陽を見て、すっか
り日の暮れた7時過ぎホーチミン着。そこで解散し、みんなそれぞれ自分のバイクで帰宅。修理中でバイクの無いYさ
んとタクシーで帰宅。荷物をおいて近くのいつも行く地元ビアレストランへ。でももうそんなに食べられず飲めず、早々
に帰宅。Yさんといろいろと話して早めに寝る。
5月29日(月)晴れ一時雨
 7時起床。シャワーを浴び、いつもの地元オープンカフェでコーヒーを
飲んで8時半に事務所へ。9時にUさんと一緒に現場へ。先日の内装業
者3人と現場での打合せ。いろいろと計ってもらったり、チェックしてもら
ったりした。彼らによると、60年程前にフランス人が建てた古い建物と
いうことだった。1時間半程で事務所に戻る。11時過ぎ、Uさんの知り
合いの紹介というホールスタッフ候補2人姉妹と面接し、即決。明日か
ら日本語を勉強してもらうことにする。そのままその姉妹とYさんUさんと
で昼食。キレイな洋風レストランだったけど、味はイマイチだった。姉妹
の住んでる所が結構遠く、交通費を考えるとバイクを買って貸与した方
がトクということになり、食後そのまま中古バイク屋街へ。道の両側ずっ
とバイク屋というところで、いろいろと見て回り、走行距離7千キロの中古バイクを買った。思ったより高くて1500万ド
ン(約10万円)だった。買ったらすぐそのまま乗っていけるのが如何にもベトナム風。姉妹が「私達の家に案内する」
というので、Uさんと一緒に訪問。細い路地の両側に1ルーム(一部中二階)が並んでた。家賃月50万ドン(約3500
円)というクーラーも無い、かなり厳しい所だった。そんな所の各家にもバイクはあり、しかもそれをその狭い1室に入
れて保管していた。レストランの厨房で働いてるというお姉さんに夕食を作ってもらうことになり、Uさん共々4人で買
出し。スーパーで買い物したけど、姉妹にとってスーパーは初体験みたいだった。地元スーパーだったけど、結構キ
レイで、日本の食材もそれなりにあった。買い物を終えて、Yさん宅へ着くと、ちょうどYさんも事務所から帰ったとこ
ろ。作ってくれたタイ鍋で夕食。結構美味しかった。10時過ぎ、Uさんと姉妹が帰り、ちょっとお疲れのYさんもほどなく
就寝。ちょっと仕事して、12時過ぎに寝る。
5月30日(火)晴れ午後から雨
 7時起床。8時半事務所。昼頃まで事務所で仕事。料理人候補のL君
が料理を作りに来るので、1時にYさん宅へ。すでにL君は来て待ってい
た。ベトナム人には珍しく時間に正確。Uさんと事務員のHさんそれにL
君とで材料の買出し。2時頃から作り始める。料理人歴8年の31才。
現在、1日の来客数千人&料理人12人の店の副料理長。但しベトナ
ム料理の経験しかない。料理の段取り・手際、それに作った料理の味
に特に問題はなかったけど、果たして未知の日本料理に彼は適応でき
るのか?途中からスコールになり、かなり長い間雨が降った。本屋で買
い物があったので、頃合いをみてUさんとバイクで出る。でも途中からま
た雨で、本屋近くに着いた頃には2人ともほぼびしょ濡れ。それで、先
にスーパーへ寄ってシャツを買って着替え、それから本屋へ。地図と辞書を買ったけど、驚くほど安かった。一旦Yさ
ん宅へ戻り、雇用を決め、明日には契約を交わす料理人のL君の契約書内容について、Yさんを交えてた3人で協
議。それから3人でいつもの地元ビアホール。ちょっと食べて飲んで、10時頃帰宅。この所お疲れ気味のYさんは先
に寝て、12時過ぎまで仕事して就寝。
5月31日(水)晴れ一時雨
 いつもどおりの起床で、Yさんのバイクの後に乗って事務所へ。昼過
ぎまでみっちりと仕事。今回の用件のひとつ、厨房機器の下見に行くた
め、昨日採用を決めたL君に聞いたが、今ひとつ分かってないみたいな
ので、ネットでいろいろと調べるも、やはり思うような店は見つからな
い。それで、電話帳で探すことにし、ビルの管理人室に聞いたけど、電
話帳はなかった。仕方なく、昼食に出るついでに郵便局に寄り、購入。
1冊60万ドン(4200円)と、結構高かった。だからどこも電話帳を持っ
てないんだ。一旦事務所に戻って、事務員さんに電話帳から探すように
依頼して昼食へ。今回初めての日本食。でも地元食に慣れてしまった
ので、驚くほど高い料金にびっくり!こんなことで本当に日本食レストラ
ンをやっていけるんだろうか。事務所に電話すると、電話帳から見つかったというので、一旦戻って場所と店名を聞
き、Uさんのバイクの後に乗り出発。2店書いてもらったけど、書かれてる住所に来ても店が見つからない。仕方なく
電話すると、何と2店とも表からは普通の家で、しかもシャッターが下りてて、とても分からない。何かにつけ中国によ
く似たベトナムだけど、これだけは違ってた。でも厨房機器そのものは殆どカタログ販売だったけど、中国より遥かに
商品も良く、品揃えも多彩だった。先日の慰安旅行の帰り、中国でよく利用してるドイツ系業務店用スーパー「METR
O]を見つけたので、今回の最後の目的、METROへ行く。市内からサイゴン川を渡ってちょっと行った所にあるけ
ど、市内では不要のヘルメットが川向こうからは要着用というので、川を渡った所にメットレンタル屋があったのには
笑ってしまった。着いたMETROは、車の来客が多い中国と違って、当然バイクが圧倒的だったが、それ以外は、店
の作り、商品の展示方法、商品構成、陳列棚、さらには入り口、出口、レジ、トイレの位置まで中国のと全く同じで、世
界展開してる店の凄さと、カルフールみたいに、それを日本で展開することの無理を再認識した。7時頃、一旦事務
所へ戻り、今度は採用したL君の店を夕食を兼ねて見に行くことにし、食欲がないというYさんを置いて、Uさんと2人
で出掛ける。途中現場に立ち寄り、再度2,3測ったあと、鍵を取りに来た不動産屋に渡す。まだ27才だというキレイ
な女社長だった。L君の店の近くまで行ったものの場所が分からず、L君に電話すると、今日は休みとのことで、奥さ
んと3才の子供と一緒にバイクで来てくれた。案内されて店へ。テーブル数60以上のかなり大きな地元レストランだっ
た。厨房も見せてもらったけど、大きなだけで、冷凍庫ストッカーはあるものの冷蔵庫もなく、コンロはすべて家庭用
で、中国の地元レストランと同じく、ろくな厨房機器は無かった。これでは厨房機器のことを聞いても分からない訳だと
納得。L君夫妻と子供、それにUさんと食べてると、店の女オーナーが挨拶に。何でも、L君は昨日に辞めることを話
したらしく、全く何のこだわりもなく普通に話しかけて来た。この辺の感覚は中国と全く同じ。今年37才だというオーナ
ーは、近々もう1店出店するとかで、中国と同じ勢いを感じた。10時前、そのまま2台のバイクで全員がYさん宅へ。
そこでL君と正式に契約。ベトナムでは、すべてに契約書が必要らしい。いろいろと質疑応答があり、無事サインした
あと、L君がUさんに「手数料はいくらですか?」と聞いたのは驚き。当然Yさんは取らなかったが、普通はみんな何に
でも手数料が必要らしい。11時過ぎL君が帰った後、入れ違いに日本語を勉強している姉妹が見送りに来た。3台
のバイクに分乗して空港まで送ってもらう。今回は結局一度も飲みにも行けなかったけど、それなりにすべての用件
が片付き、リゾート旅行まであった充実した1週間だった。深夜1時半発の飛行機で上海へ戻る。
6月21日(火)晴れ
 まだ6月だというのにもう、蒸し暑い無錫の夏が始まった。連日本当に
うだるような暑さ…。そんな今日、ベトナムからLONG君が来た。店が終
わってそのまま朝の3時半の汽車で上海へ。済南からの汽車だったけ
ど、30分ほど遅れた上に何故か異様に混んでた。結局上海まで立ちっ
放し。上海からバスで浦東空港へ。飛行機の到着時間ちょうどの6時半
に着く。案内板で見ると、15分早く飛行機は着いてた。時間が早いので
すぐに出てくるはずが、中々出てこない。海外は勿論、飛行機に乗るの
も初めてだけに、ちょっと心配になった頃、ようやく3ヶ月滞在にしては
驚くほどの少ない荷物を持ったLONG君が現れた。ベトナムの調味料が
入ったダンボールと小さなカバンだけだった。バスに乗って上海へ戻
り、9時発の汽車に乗るつもりが、道路の渋滞がひどく、結局発車時間の9時に上海駅着。せっかく買ってた切符は
パー。改めて切符を買ったけど、一番早いのが11時半。やることもないので、待合室で待った。そして、無錫へ。結
局1時半頃胡蝶着。出発から10時間の結構しんどい出迎えだった。待ってた店のスタッフと隣りのホテルで食事。で
もお互い全く言葉が出来ないので、本当に困った。先のプチ留学、もう少し真面目に勉強しておくべきだったと反省。
食後夜まで仮眠し、さっそく今日から厨房に入ってもらった。これから3ヶ月、果たしてどうなるんだろうか…。



’06/3月〜4月

’05/3月〜4月

’05/5月〜6月

’05/7月〜8月

’05/9月〜10月

’05/11月〜12月

’06/1月〜2月